どの医師が良いかなんて素人には分からない|心情に触れて気づいた非情なリアル

目次

あなたはどうする?

今回は、母の手術から感じたエピソードを例に話そう。これから話す内容は「商談」「診断」「営業」「コミュニティ」様々な仕事で生きてくるスキルであり、「人生でベスト3に入るほど、肝を冷やした」出来事。

そして「人が惹きつけられる瞬間と終着地のギャップ」に思わず苦笑いをしてしまう。そんなお話です。
気になる方は2〜3分で読み終わるので覗いてみてください。

母は極度の心配性

武将であるなら守りの陣。勇者育成ゲームであるなら防御スキルに全振りタイプ。ボクシングで例えるならメイウェザー。ハイキューで例えるなら伊達高。まさに鉄壁の守護天使である。

そんな母が手術をすることに…
「不整脈」状態としては軽度で、一般的なカテーテル手術を施せば治る病気である。
しかし、先述したように母は、「超がつくほど心配性」だ。

病院の規模、カウンセリング、知人からの評判、ありとあらゆる情報を駆使して病院選定を行う。確かに自分の体にメスをいれると言うことは、それなりのリスクを伴うので、当然と言えば当然である。(重大な病気であれば尚更だ)

大手の病院ほど診察はドライ

これはよく聞く話だ。大規模な病院ほど診察にかかる時間は短い。「うんうん、薬出しておくので後はお大事にしてくださーい」私たちは、今日受診する何千人の内の「1」でしかない。

患者の立場からすれば、もっとなんかこう…しっかり見てもらいたい!「本当は危険な病気なんじゃないか」「いつもと違う感覚だから病気に違いない」そう言った感情が入り混じる。

そう。つまり我々は「確信が持てない焦りと不安」でいっぱいなのだ。(お化けと一緒で、実態のない物を人は恐れる)

母の下した判断

診察を数分で終えた母の表情は、タイヤの空気が抜けたような、拍子抜けた顔だった。

病名、術式方法を淡々と話されても、専門用語ばっかりで分からんわ!(ひたすらに連打を喰らわされコールド負けのようだった)

まあ、ここで引くような私の母ではないので、再度、自分が理解するまで今後の内容を確認していた。(3回は聞きにいってたかな?)決め手となったのが、診察医の代理でやってきた上司?が、改めて分かりやすい表現で説明をしてくれたことが決定打となった。

手術当日

何度も言うが、私の母はド・ド・ド心配性だ。
「執刀医は先生が担当してくれるんですね!?」最後に丁寧に説明してくれた先生だ。

「当日は私が担当致します」

「よろしくお願いします!」母はようやく安堵した様子だった。

オペ室に向かう前に顔を見たが元気そうな様子だ。(命に別状はないとしてもやはり何かグッとくる感情だ)

そうして手術も無事終了。(先生ありがとうございます)

失望感

オペ室から出てくる時には既に目を覚ましていた。(術後にオペ室で、しばし休む時間があったようだ)

「あれ、」(母は執刀医に目を向けていた)

「どうしたの?」(私)

「最初と最後の先生が違う…」(母は術後で朦朧とした状態の中であるにも関わらず、明らかに悲しげな声で発したことを私は感じていた)

「少し休んでから聞いてみよう」(一旦病棟へ戻る)

苦笑いと人の性質を知った日

体調も順調に回復し、執刀医に母は尋ねた。

「先生が執刀されると聞いていたんですが、私が術後に起きて見た先生は別の人でしたよ?」(少し不満げな様子)

「メインとなるカテーテルは私が担当しました!最後に縫合のみ他の先生に代わって頂きました。」

「そうなんですね…」(納得いかない様子だ)

母の言いたいことは理解できる「担当するってことは最後まで責任をもって執り行うこと」細かく説明されなくても一般的にそうなのだと思うのは当然だ。

※これについて同級生の医師に聞いて見たところ「新人教育でリスクの低い縫合等は、今後の経験として任せることがあるそうだ」なるほど。でもそうは言っても本当に最後だけ担当してるかなんて麻酔で眠ってしまえば分からないから、やはり怖い…

話を戻そう。

母はしばらくしてこう言った。

「親切に話を聞いてくれたから、この先生が良いなと思ったのに…。でも治ったならいっか!」

これが今回のポイントだ。

1.母は何がきっかけ(判断材料)でこの先生にお願いしたのか?

2.最後の担当が変わったにも関わらず、治ればOK

1.母は何がきっかけ(判断材料)でこの先生にお願いしたのか?

極度の心配性な母でわかりやすい。この時の心情としては、真っ先に「不安」が頭を駆け巡っただろう。そして「落ち着きたい」と言う気持ちも同時にあったはずだ。よくある話で、ボス戦に挑んでみたが、全く歯が立たない状況で瀕死の時に「おれに任せろ」と突如現れる最強キャラが、ボスキャラを一刀両断するあのシチュエーションだ。

危機に瀕したキャラ達は決まって、「助かった」「命拾いした」「危なかった」お決まりのセリフ。
まさに母も、1人で右も左も分からない状況で、きっと「誰か私を安心させてほしい」そう言った感情でいっぱいだったはずだ。

だからこそ、最後に自分の話を親身に聞いてくれた医師に安堵し、託したのだろう。

では、この時の決定打(判断)となったのは、なんだろう?

執刀歴?NO
役職(権威性)?これもNO
評判?違う

答えは「母の不安を可能な限り取り除き、落ち着かせ、前向きな気持ちにシフトさせたことだ」

空港の荷物検査のように、ゲートを通る前は危険となるものを排除し(-1)フラットな状態でゲートを通過し(0)検査が終了した荷物を担ぎ、楽しみな気分で旅行に向かう(+1)。まさにマイナスからのプラスαである。

つまり、患者(顧客)にとって歴や役職や評判などは、そこまで重要ではなく、大切なのは「聞くに徹する力とスタートラインまで立ち上がった患者(顧客)をどう一歩踏み出させるか」な訳だ。強く手繰り寄せるのか?そっと手を差し伸べるのか?決め手はこれまでの様子や雰囲気からヒントを得るしかない(達人同士の間合いの様に空気感って大事だよねって話)

特に今回は病気であった以上、命はお金に変えられないので、金額価値に対する比較判断は、ほぼないだろう。
逆を返せば、金額以上の価値(意味)を見出すことができれば、決定打になるということだ。

だが、
この後、私は「あ、人の気持ちってそんなもんだよな〜」と虚無感とあっけらかんとした感情になる。

2.最後の担当が変わったにも関わらず、治ればOK

「親切に話を聞いてくれたから、この先生が良いなと思ったのに…。でも治ったならいっか!」

そう、この言葉に私は、「人は非情であり、結果が全てである」と言うことを肝を冷やす気持ちで感じていた。

よく「結果よりも過程が大事だ!」という人がいるが、私は少し異なる角度からこの言葉を受けとめている。

私の考えはこうだ。「ある一定の結果が伴わなければ、過程は意味を成さない」

わかりやすい例で、ある一定レベル①〜③に分けて説明すると

レベル①:弱小高野球部が夏の最後の大会で一回戦負け→「俺達やれることは全部やったよ!」
レベル②:甲子園常連校強豪野球部の夏の最後の大会で一回戦負け→「全然笑えない…涙も出ない」
レベル③:手術は失敗です。出来る限りは尽くしました→「私の息子を返してよ…。」

つまり、過程と結果は結びついている様で、ここには大きな乖離がある。

〇〇さんにお願いして良かった!それは結果が伴った上での相手からの感謝(副産物)でしかないのだ。結果がなければ、過程も何もない。

「親切に話を聞いてくれたから、この先生が良いなと思ったのに…。でも治ったならいっか!」
ここに戻ろう。

長々と話したが、結局は、依頼者側の最大の要求は「結果」であり、受諾者側は、「自分が置かれたある一定以上の結果を出さない限りは、過程に期待感を抱くことは御法度」という事だ。

まとめ

今回は①:「人の判断基準」 ②:「過程と結果の乖離」 について話してきました。

マイナスから0に0からプラスに。それは「後ろ向きな姿勢をフラットにフラットから前向きな姿勢に転換する力」
人って自分の話を聞いてくれると嬉しいですよね。

私は、母の手術以来、この出来事を教訓に事業の糧にしている。(人生で初めて肝を冷やした日であった)

「過程」
受諾者:自分が置かれたある一定以上の結果を出さない限りは、過程に期待感を抱くことは御法度。
依頼者:結果に伴い、受諾者に対する努力値が評価される。【過程→結果(×)】【結果→努力値過程(×・△・◯)】

「結果」
受諾者:「自分だから成功できた」それは大きな勘違い。常に慢心せず、冷静であれ。
依頼者:「結果オーライ」(シンプルで分かりやすい)

とこんな感じで、人生の勉強になった1日でした。人の価値観や思考は十人十色。でも揺れ動く感情や本能のトリガーは、共通している。

皆さんどうか体はお大事に。では、また!

あなたはどうする?

今回は、母の手術から感じたエピソードを例に話そう。これから話す内容は「商談」「診断」「営業」「コミュニティ」様々な仕事で生きてくるスキルであり、「人生でベスト3に入るほど、肝を冷やした」出来事。

そして「人が惹きつけられる瞬間と終着地のギャップ」に思わず苦笑いをしてしまう。そんなお話です。
気になる方は2〜3分で読み終わるので覗いてみてください。

母は極度の心配性

武将であるなら守りの陣。勇者育成ゲームであるなら防御スキルに全振りタイプ。ボクシングで例えるならメイウェザー。ハイキューで例えるなら伊達高。まさに鉄壁の守護天使である。

そんな母が手術をすることに…
「不整脈」状態としては軽度で、一般的なカテーテル手術を施せば治る病気である。
しかし、先述したように母は、「超がつくほど心配性」だ。

病院の規模、カウンセリング、知人からの評判、ありとあらゆる情報を駆使して病院選定を行う。確かに自分の体にメスをいれると言うことは、それなりのリスクを伴うので、当然と言えば当然である。(重大な病気であれば尚更だ)

大手の病院ほど診察はドライ

これはよく聞く話だ。大規模な病院ほど診察にかかる時間は短い。「うんうん、薬出しておくので後はお大事にしてくださーい」私たちは、今日受診する何千人の内の「1」でしかない。

患者の立場からすれば、もっとなんかこう…しっかり見てもらいたい!「本当は危険な病気なんじゃないか」「いつもと違う感覚だから病気に違いない」そう言った感情が入り混じる。

そう。つまり我々は「確信が持てない焦りと不安」でいっぱいなのだ。(お化けと一緒で、実態のない物を人は恐れる)

母の下した判断

診察を数分で終えた母の表情は、タイヤの空気が抜けたような、拍子抜けた顔だった。

病名、術式方法を淡々と話されても、専門用語ばっかりで分からんわ!(ひたすらに連打を喰らわされコールド負けのようだった)

まあ、ここで引くような私の母ではないので、再度、自分が理解するまで今後の内容を確認していた。(3回は聞きにいってたかな?)決め手となったのが、診察医の代理でやってきた上司?が、改めて分かりやすい表現で説明をしてくれたことが決定打となった。

手術当日

何度も言うが、私の母はド・ド・ド心配性だ。
「執刀医は先生が担当してくれるんですね!?」最後に丁寧に説明してくれた先生だ。

「当日は私が担当致します」

「よろしくお願いします!」母はようやく安堵した様子だった。

オペ室に向かう前に顔を見たが元気そうな様子だ。(命に別状はないとしてもやはり何かグッとくる感情だ)

そうして手術も無事終了。(先生ありがとうございます)

失望感

オペ室から出てくる時には既に目を覚ましていた。(術後にオペ室で、しばし休む時間があったようだ)

「あれ、」(母は執刀医に目を向けていた)

「どうしたの?」(私)

「最初と最後の先生が違う…」(母は術後で朦朧とした状態の中であるにも関わらず、明らかに悲しげな声で発したことを私は感じていた)

「少し休んでから聞いてみよう」(一旦病棟へ戻る)

苦笑いと人の性質を知った日

体調も順調に回復し、執刀医に母は尋ねた。

「先生が執刀されると聞いていたんですが、私が術後に起きて見た先生は別の人でしたよ?」(少し不満げな様子)

「メインとなるカテーテルは私が担当しました!最後に縫合のみ他の先生に代わって頂きました。」

「そうなんですね…」(納得いかない様子だ)

母の言いたいことは理解できる「担当するってことは最後まで責任をもって執り行うこと」細かく説明されなくても一般的にそうなのだと思うのは当然だ。

※これについて同級生の医師に聞いて見たところ「新人教育でリスクの低い縫合等は、今後の経験として任せることがあるそうだ」なるほど。でもそうは言っても本当に最後だけ担当してるかなんて麻酔で眠ってしまえば分からないから、やはり怖い…

話を戻そう。

母はしばらくしてこう言った。

「親切に話を聞いてくれたから、この先生が良いなと思ったのに…。でも治ったならいっか!」

これが今回のポイントだ。

1.母は何がきっかけ(判断材料)でこの先生にお願いしたのか?

2.最後の担当が変わったにも関わらず、治ればOK

1.母は何がきっかけ(判断材料)でこの先生にお願いしたのか?

極度の心配性な母でわかりやすい。この時の心情としては、真っ先に「不安」が頭を駆け巡っただろう。そして「落ち着きたい」と言う気持ちも同時にあったはずだ。よくある話で、ボス戦に挑んでみたが、全く歯が立たない状況で瀕死の時に「おれに任せろ」と突如現れる最強キャラが、ボスキャラを一刀両断するあのシチュエーションだ。

危機に瀕したキャラ達は決まって、「助かった」「命拾いした」「危なかった」お決まりのセリフ。
まさに母も、1人で右も左も分からない状況で、きっと「誰か私を安心させてほしい」そう言った感情でいっぱいだったはずだ。

だからこそ、最後に自分の話を親身に聞いてくれた医師に安堵し、託したのだろう。

では、この時の決定打(判断)となったのは、なんだろう?

執刀歴?NO
役職(権威性)?これもNO
評判?違う

答えは「母の不安を可能な限り取り除き、落ち着かせ、前向きな気持ちにシフトさせたことだ」

空港の荷物検査のように、ゲートを通る前は危険となるものを排除し(-1)フラットな状態でゲートを通過し(0)検査が終了した荷物を担ぎ、楽しみな気分で旅行に向かう(+1)。まさにマイナスからのプラスαである。

つまり、患者(顧客)にとって歴や役職や評判などは、そこまで重要ではなく、大切なのは「聞くに徹する力とスタートラインまで立ち上がった患者(顧客)をどう一歩踏み出させるか」な訳だ。強く手繰り寄せるのか?そっと手を差し伸べるのか?決め手はこれまでの様子や雰囲気からヒントを得るしかない(達人同士の間合いの様に空気感って大事だよねって話)

特に今回は病気であった以上、命はお金に変えられないので、金額価値に対する比較判断は、ほぼないだろう。
逆を返せば、金額以上の価値(意味)を見出すことができれば、決定打になるということだ。

だが、
この後、私は「あ、人の気持ちってそんなもんだよな〜」と虚無感とあっけらかんとした感情になる。

2.最後の担当が変わったにも関わらず、治ればOK

「親切に話を聞いてくれたから、この先生が良いなと思ったのに…。でも治ったならいっか!」

そう、この言葉に私は、「人は非情であり、結果が全てである」と言うことを肝を冷やす気持ちで感じていた。

よく「結果よりも過程が大事だ!」という人がいるが、私は少し異なる角度からこの言葉を受けとめている。

私の考えはこうだ。「ある一定の結果が伴わなければ、過程は意味を成さない」

わかりやすい例で、ある一定レベル①〜③に分けて説明すると

レベル①:弱小高野球部が夏の最後の大会で一回戦負け→「俺達やれることは全部やったよ!」
レベル②:甲子園常連校強豪野球部の夏の最後の大会で一回戦負け→「全然笑えない…涙も出ない」
レベル③:手術は失敗です。出来る限りは尽くしました→「私の息子を返してよ…。」

つまり、過程と結果は結びついている様で、ここには大きな乖離がある。

〇〇さんにお願いして良かった!それは結果が伴った上での相手からの感謝(副産物)でしかないのだ。結果がなければ、過程も何もない。

「親切に話を聞いてくれたから、この先生が良いなと思ったのに…。でも治ったならいっか!」
ここに戻ろう。

長々と話したが、結局は、依頼者側の最大の要求は「結果」であり、受諾者側は、「自分が置かれたある一定以上の結果を出さない限りは、過程に期待感を抱くことは御法度」という事だ。

まとめ

今回は①:「人の判断基準」 ②:「過程と結果の乖離」 について話してきました。

マイナスから0に0からプラスに。それは「後ろ向きな姿勢をフラットにフラットから前向きな姿勢に転換する力」
人って自分の話を聞いてくれると嬉しいですよね。

私は、母の手術以来、この出来事を教訓に事業の糧にしている。(人生で初めて肝を冷やした日であった)

「過程」
受諾者:自分が置かれたある一定以上の結果を出さない限りは、過程に期待感を抱くことは御法度。
依頼者:結果に伴い、受諾者に対する努力値が評価される。【過程→結果(×)】【結果→努力値過程(×・△・◯)】

「結果」
受諾者:「自分だから成功できた」それは大きな勘違い。常に慢心せず、冷静であれ。
依頼者:「結果オーライ」(シンプルで分かりやすい)

とこんな感じで、人生の勉強になった1日でした。人の価値観や思考は十人十色。でも揺れ動く感情や本能のトリガーは、共通している。

皆さんどうか体はお大事に。では、また!


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