勢力図が変わり始める時代に殿様文化はどう立ち向かうのか?私なりの強いチームの作り方
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こんな体験をしたことはないか?
「〇〇に言われたから、こうだ」「前からそうだから」
先に話しておく。私は昔から何に対しても興味を示しがちな「好奇心・疑問マシーン」だ。
常に「なんで?」「どうして?」が先行してしまう。
- 右利き、左利きを区別する訳は?両方使えた方が得じゃないか?
- なぜ勉強はしなくちゃいけないのか?
- 人はリスクを避けようとするのに、スリルを求めることもあるのか?(イタズラする前のワクワク感)
- 自分ができる事が、他人は出来ないのか?(逆もまた然り)
自分の中で、確たる証拠や納得感がない限り、気になってしょうがない。
当時高校生〜現在に至るまで、この「好奇心・疑問マシーン」で悩んだ事、そして大きな時代の変化にある現代社会で、「今が最大の好機」であり、自信が持てたエピソードを話していこう。
私たちは、それぞれ違う文化の中で生活している
他人が作る料理は格別に美味しい。地域によって使われる調味料が違う様に(白味噌・赤味噌)同じ料理でも各々の家庭によって味や具材が異なる。「作る料理が同じでも、全く新しい食文化に生まれ変わるのだ」
それは料理に限らず、
- 家庭
- 学校
- 部活
- 会社
- 市町村
- 都道府県
- 国
規模は違えど、皆、異なる文化を持った小さな村なのだ。
なぜそう考える様になったのか?それは高校生の時である。
殿様文化・絶対服従
学生時代は野球に励んでおり、高校でも野球を続けた。(強豪校)
高校に入るまでの野球は「enjoy baseball !!」だったのだろう。(考えて試したことが結果になるのがとにかく楽しかった)
しかし、高校入学してから卒業するまで、「野球を楽しいと思えた事は、一度もなかった」
「俺がこう言ったらこうだ!」チームを言葉で表すのであれば「王様と下僕」まさにアドルフ・ヒトラーのような「独裁国家」だった。(私は今日から下僕になりました)
絶対的権力者の指示のため、チーム(国)として、一定以上の統率はとれていた。故に辺り一体の野球部(隣国)よりは強かった。と同時に国としての勢力も大きかった。
IQ「0」指示まち人間の完成
他を寄せ付けぬ圧倒的な王様の前に、次第に「思考(考える力)」は止まっていくのを感じた。それでも私は、争い続けた下僕の方だと思う。(一揆を起こしたからね)
なぜそうしたか?
段階を踏んで話そう。
- 皆、そうしてるから
- 先輩がやれって言ってるから
衰退していく国は決まって、この状況に落ちいっている。これは今となって確信が持てる、とても危険なサインだ。(これについては後ほど詳しく話そう)
「え、でもそれって変じゃない?」(私は納得ならん事には、階級も年齢も気にせんのだ)
とは言っても恐怖と権威で縛り付けられた仲間は、流れるプールのように順応していった。私だけが逆流を歩いている。1人だけ時代がタイムスリップし、今だに「しもしも電話」を携帯している変な人。
そんな疎外感を感じていた。(もちろんその中で上手く立ち回れる優秀な仲間もいた)
背に矢を打たれた
甲子園大会で埼玉の高校と対戦した。結果は完敗だったが、負けた以上に衝撃的なエピソードが…。
「どっちも、王様の言いなりロボット(奴隷)みたいなチーム(国)だったな」
観客席からボソッと聞こえた一言が、私の「背に強烈な矢」を放った。
その時の心境は、
(あーやっぱり見てる人にはわかるんだ!しかも初めて見る人にも伝わるのか!)なぜかチームは負けたのに嬉しかった自分がいた。
結局それ以降、どちらの高校も現在に至って、思う様な結果が出ていない。その原因は、あの時に放たれた観客の一声に全てが集約されている。そしてそれを決定づける時代がやってきて、勢力図が大きく書き換えられた。
変革
(完全私情の話題ですが、この内容は必ず社会(戦国の世)へ出た時に必要な力(スキル)であると思うので、強行してお話しさせてください。もう少しお付き合い頂ければ嬉しいです。)
昨年甲子園、「慶応高校優勝!」
ここが「変革」の時だ。
と感じた今年の甲子園は、誰も予想できない試合となった。(甲子園常連校が立て続けに消えた)
ですが、むしろ私は、「これが本来あるべき姿」と感じている。
どういうことか?
現在の高校野球を整理してみよう(例えが野球であって、全てのスポーツや会社、組織にも同じことが言える)
〜現在社会の変化〜
・部員に対する暴行・暴言の制限
・叱りに対する現代若年層の免疫の低下
もっというなら、コンプライアンス違反が昔よりも、かなり厳しくなったためである。
では、なぜ「コンプライアンス違反」が、影響するのか話していこう。
王の弱体化=国が滅ぶ
先述した様に、「王様の命令は絶対」は、もう指示がないと動くことの出来ないロボット(パワー0)なのだ。
つまり、コンプライアンス違反強化により、王様が振るうことが出来た権力(パワー10)は、かなり制限を受けることになる。そのため国としての総合的な力が下がるのだ。
だからこそ、昨年慶応高校が優勝したことには重要な意味と価値があり、今年の甲子園も文武両道の高校が大いに力を振るっている。
「今年は波乱だ」「ジャイアントキリング!」「強豪勢どうした?」
なんて言われるが、私から言わせれば、これこそ「チームの力」だと思っている。
これに対し「IQが高いから」「頭が良いから」はおかしい。
なぜなら、「俺がこう言ったらこうだ!」「皆、そうしてるから。先輩がやれって言ってるから。」こういった恐怖で思考を縛りつけてしまった皺寄せが、今になってきただけなのだから。
「今の子は何も考えてない」否。
そうしてしまっているのは、「叱ると怒る」を履き違えて、感情的に言葉の暴力を振りかざす大人達の責任だと強く言いたい。
そういった背景を知ってるからこそ「冷静に最善の言動や行動」を必死に考える若年層が誕生したのである。
むしろそこまで考えられる人材の方が優秀だろう。未来の才能を潰すな(年齢は関係ないぞ。下から教わることもあるでしょう)
勝利(チーム)を導くために
これからは、指示待ちロボットから「思考する人」にしなくてはならない。
王様(リーダー)は1人であるが、部下は変数式であるため、部下の能力が高くなればなるほど、総合パワーが0になる事はない。
今年の甲子園は、とにかく選手が生き生きしていた。考えて考えて必死に勝ちを手繰り寄せる。どの試合もとても面白かった。沢山ドラマもありましたね。
ちょっとおまけ
以前までは消防官であったが、公務員ほど「古い考えは根強い」
お客様にも多く、「やっぱり若い人はどんどん辞めてく」と言っていた。
「少し前までは、公務員って最高の職業だったのに(私の親世代)」
でも、そこで働く人たちは、それを悪だと本気で思っていないことが、余計に組織改革が難しいところなんだと、辞めてから気づいた。(もうこの組織では当たり前の文化なんです)
『勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし』
人が辞め続ける環境には必ず原因がある。辞めてく人間を会社は「あいつは変だ」で片付ける。
『辞める側に不思議なし。辞められた会社は不思議あり。』
話は変わって、
ある時、友人からは「歳を重ねると丸くなるって言うけど、俺は尖っていたいな!言いたい事はしっかり伝えたい!」
(もちろん良い意味の尖ってるだよ。今の若年層が萎縮してると思われがちな時代だからってこと。)
たしかに、自分もいつまでも強くありたいなと、首を何回も縦に振り、彼の話を聞いていた。
私も30歳間近で、さすがに言いたいことを言うにしても、言い方には気をつけなければと、彼と会うたび毎回再認識させてもらっている。(叱ってくれる最高の友人だ)
ブログを書いたり、本を読んだり、ラジオを聴いたり、20歳そこそこの時は考えてもいなかった。30歳を堺に、途端に日本では、「常識・言葉遣い」に対するアンテナが強くなる。
だからこそこうして、少しずつ言葉の練習も兼ねてブログを書いている。本を読むのも自分に必要な知識を獲得する理由の一つではあるが、「言葉を綺麗に使える能力」も身につけたいと思って読んでいる。(良いなって、思う本って言葉が綺麗なんですよね)
だいぶ脱線しましたが、自分も日々勉強ってことです。
それではまとめにいきましょう。
まとめ
【現在地】
・それぞれ異なる文化で生きている→一歩外に出れば「それは当たり前ではなく、異常なこともある」
・殿様国家→コンプライアンス違反の強化→時代に淘汰されていく
・「叱る」と「怒る」の混合→若い目を詰む
【未来】
・年齢は関係ない→どう発信するか?どう伝えるか?
・リーダー→強みも必要だけど、同時に弱みもオープンにする→チームパワーの均等化と変数
・環境は自分で決める・探す→今日が1番若い日
30手前にして20歳に戻りたい!と毎日思いながら、コツコツ学ぶ私のお話でした。
見てくれてありがとう。では、また!
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こんな体験をしたことはないか?
「〇〇に言われたから、こうだ」
「前からそうだから」
先に話しておく。
私は昔から何に対しても興味を示しがちな
「好奇心・疑問マシーン」だ。
常に「なんで?」「どうして?」が先行してしまう。
- 右利き、左利きを区別する訳は?
両方使えた方が得じゃないか? - なぜ勉強はしなくちゃいけないのか?
- 人はリスクを避けようとするのに、スリルを求めることもあるのか?(イタズラする前のワクワク感)
- 自分ができる事が、他人は出来ないのか?
(逆もまた然り)
自分の中で、確たる証拠や納得感がない限り、気になってしょうがない。
当時高校生〜現在に至るまで、この「好奇心・疑問マシーン」で悩んだ事、そして大きな時代の変化にある現代社会で、「今が最大の好機」であり、自信が持てたエピソードを話していこう。
私たちは、それぞれ違う文化の中で
生活している
他人が作る料理は格別に美味しい。地域によって使われる調味料が違う様に(白味噌・赤味噌)同じ料理でも各々の家庭によって味や具材が異なる。
「作る料理が同じでも、全く新しい食文化に生まれ変わるのだ」
それは料理に限らず、
- 家庭
- 学校
- 部活
- 会社
- 市町村
- 都道府県
- 国
規模は違えど、皆、異なる文化を持った小さな村なのだ。
なぜそう考える様になったのか?それは高校生の時である。
殿様文化・絶対服従
学生時代は野球に励んでおり、高校でも野球を続けた。(強豪校)
高校に入るまでの野球は「enjoy baseball !!」だったのだろう。(考えて試したことが結果になるのがとにかく楽しかった)
しかし、高校入学してから卒業するまで、「野球を楽しいと思えた事は、一度もなかった」
「俺がこう言ったらこうだ!」チームを言葉で表すのであれば「王様と下僕」まさにアドルフ・ヒトラーのような「独裁国家」だった。(私は今日から下僕になりました)
絶対的権力者の指示のため、チーム(国)として、一定以上の統率はとれていた。故に辺り一体の野球部(隣国)よりは強かった。と同時に国としての勢力も大きかった。
IQ「0」指示まち人間の完成
他を寄せ付けぬ圧倒的な王様の前に、次第に「思考(考える力)」は止まっていくのを感じた。それでも私は、争い続けた下僕の方だと思う。(一揆を起こしたからね)
なぜそうしたか?
段階を踏んで話そう。
- 皆、そうしてるから
- 先輩がやれって言ってるから
衰退していく国は決まって、この状況に落ちいっている。これは今となって確信が持てる、とても危険なサインだ。(これについては後ほど詳しく話そう)
「え、でもそれって変じゃない?」(私は納得ならん事には、階級も年齢も気にせんのだ)
とは言っても恐怖と権威で縛り付けられた仲間は、流れるプールのように順応していった。私だけが逆流を歩いている。1人だけ時代がタイムスリップし、今だに「しもしも電話」を携帯している変な人。
そんな疎外感を感じていた。(もちろんその中で上手く立ち回れる優秀な仲間もいた)
背に矢を打たれた
甲子園大会で埼玉の高校と対戦した。結果は完敗だったが、負けた以上に衝撃的なエピソードが…。
「どっちも、王様の言いなりロボット(奴隷)みたいなチーム(国)だったな」
観客席からボソッと聞こえた一言が、私の「背に強烈な矢」を放った。
その時の心境は、
(あーやっぱり見てる人にはわかるんだ!しかも初めて見る人にも伝わるのか!)なぜかチームは負けたのに嬉しかった自分がいた。
結局それ以降、どちらの高校も現在に至って、思う様な結果が出ていない。その原因は、あの時に放たれた観客の一声に全てが集約されている。
そしてそれを決定づける時代がやってきて、勢力図が大きく書き換えられた。
変革
(完全私情の話題ですが、この内容は必ず社会(戦国の世)へ出た時に必要な力(スキル)であると思うので、強行してお話しさせてください。もう少しお付き合い頂ければ嬉しいです。)
昨年甲子園、「慶応高校優勝!」
ここが「変革」の時だ。
と感じた今年の甲子園は、誰も予想できない試合となった。(甲子園常連校が立て続けに消えた)
ですが、むしろ私は、「これが本来あるべき姿」と感じている。
どういうことか?
現在の高校野球を整理してみよう(例えが野球であって、全てのスポーツや会社、組織にも同じことが言える)
〜現在社会の変化〜
・部員に対する暴行・暴言の制限
・叱りに対する現代若年層の免疫の低下
もっというなら、コンプライアンス違反が昔よりも、かなり厳しくなったためである。
では、なぜ「コンプライアンス違反」が、影響するのか話していこう。
王の弱体化=国が滅ぶ
先述した様に、「王様の命令は絶対」は、もう指示がないと動くことの出来ないロボット(パワー0)なのだ。
つまり、コンプライアンス違反強化により、王様が振るうことが出来た権力(パワー10)は、かなり制限を受けることになる。そのため国としての総合的な力が下がるのだ。
だからこそ、昨年慶応高校が優勝したことには重要な意味と価値があり、今年の甲子園も文武両道の高校が大いに力を振るっている。
「今年は波乱だ」「ジャイアントキリング!」「強豪勢どうした?」
なんて言われるが、私から言わせれば、これこそ「チームの力」だと思っている。
これに対し「IQが高いから」「頭が良いから」はおかしい。
なぜなら、「俺がこう言ったらこうだ!」「皆、そうしてるから。先輩がやれって言ってるから。」こういった恐怖で思考を縛りつけてしまった皺寄せが、今になってきただけなのだから。
「今の子は何も考えてない」否。
そうしてしまっているのは、「叱ると怒る」を履き違えて、感情的に言葉の暴力を振りかざす大人達の責任だと強く言いたい。
そういった背景を知ってるからこそ「冷静に最善の言動や行動」を必死に考える若年層が誕生したのである。
むしろそこまで考えられる人材の方が優秀だろう。未来の才能を潰すな(年齢は関係ないぞ。下から教わることもあるでしょう)
勝利(チーム)を導くために
これからは、指示待ちロボットから「思考する人」にしなくてはならない。
王様(リーダー)は1人であるが、部下は変数式であるため、部下の能力が高くなればなるほど、総合パワーが0になる事はない。
今年の甲子園は、とにかく選手が生き生きしていた。考えて考えて必死に勝ちを手繰り寄せる。どの試合もとても面白かった。沢山ドラマもありましたね。
ちょっとおまけ
以前までは消防官であったが、公務員ほど「古い考えは根強い」
お客様にも多く、「やっぱり若い人はどんどん辞めてく」と言っていた。
「少し前までは、公務員って最高の職業だったのに(私の親世代)」
でも、そこで働く人たちは、それを悪だと本気で思っていないことが、余計に組織改革が難しいところなんだと、辞めてから気づいた。(もうこの組織では当たり前の文化なんです)
『勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし』
人が辞め続ける環境には必ず原因がある。辞めてく人間を会社は「あいつは変だ」で片付ける。
『辞める側に不思議なし。辞められた会社は不思議あり。』
話は変わって、
ある時、友人からは「歳を重ねると丸くなるって言うけど、俺は尖っていたいな!言いたい事はしっかり伝えたい!」
(もちろん良い意味の尖ってるだよ。今の若年層が萎縮してると思われがちな時代だからってこと。)
たしかに、自分もいつまでも強くありたいなと、首を何回も縦に振り、彼の話を聞いていた。
私も30歳間近で、さすがに言いたいことを言うにしても、言い方には気をつけなければと、彼と会うたび毎回再認識させてもらっている。(叱ってくれる最高の友人だ)
ブログを書いたり、本を読んだり、ラジオを聴いたり、20歳そこそこの時は考えてもいなかった。30歳を堺に、途端に日本では、「常識・言葉遣い」に対するアンテナが強くなる。
だからこそこうして、少しずつ言葉の練習も兼ねてブログを書いている。
本を読むのも自分に必要な知識を獲得する理由の一つではあるが、「言葉を綺麗に使える能力」も身につけたいと思って読んでいる。(良いなって、思う本って言葉が綺麗なんですよね)
だいぶ脱線しましたが、自分も日々勉強ってことです。
それではまとめにいきましょう。
まとめ
【現在地】
・それぞれ異なる文化で生きている→一歩外に出れば「それは当たり前ではなく、異常なこともある」
・殿様国家→コンプライアンス違反の強化→時代に淘汰されていく
・「叱る」と「怒る」の混合→若い目を詰む
【未来】
・年齢は関係ない→どう発信するか?どう伝えるか?
・リーダー→強みも必要だけど、同時に弱みもオープンにする→チームパワーの均等化と変数
・環境は自分で決める・探す→今日が1番若い日
30手前にして20歳に戻りたい!と毎日思いながら、コツコツ学ぶ私のお話でした。
見てくれてありがとう。では、また!